西国三十三所の分霊

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 称名寺には西国三十三観音を祀る堂があったが、別に天保3年、信者蛯子長兵衛の発願で、箱館山に三十三観音石像を配祀する話があり、称名寺住職の世話で同5年4月これを完成した。その時、西国三十三所の1か所ずつから土を運んで埋めたため、「移土観音」ともいう。石像は石田与兵衛という信者の協力で、阿波の花崗岩で刻像し、これを高田屋の船で運んだ。春秋のころ「山かけ」といって衆人が群をなして参詣し、尊信を集めた。