安政元(1854)年3月、アメリカとの間に結ばれた和親条約によって、箱館は翌2年3月から開港されることになったが、この開港は極めて狭い範囲のもので、すなわち条約国の船舶のため薪水、食料、その他欠乏品を調達できるものだけに限り供給すべきこと、日本国の海浜に漂着した船舶はこれを助け、漂民は開港場に送って帰還させること、漂民その他の者が開港場に逗留している間は寛大に取り扱い、規定の地域内を自由に徘徊(はいかい)させること、必要によって条約国は箱館、下田の内1港に官吏を置くことなどを約定したに過ぎなかった。なおアメリカとの条約付録では、箱館では石炭を用意するに及ばない旨が付記されている。