箱館市中の取締りは官の任務であったが、もとより掛員が少ないため外国船舶ことに軍艦が入港して、水兵などが数多上陸して酒を飲み暴行する時などは、一々これを鎮撫することが出来ず、その将校の鎮撫を待たねばならぬ場合さえあった。そのため何か簡便な方法がないかと町役人に質問したところ、町役人は元気のいい五十集(いさば)商(鑑札を受けた生魚販売人)をこれに当らせてはどうかということになり、安政6年3月同商の組合にはかったところ、当時組合員が72人あり、その内出稼者や病人などを除いても、現在強壮な者が約50名いたので、相談の上昼は商売のかたわら町々を見回り、夜は交替に巡警し、狼籍者があれば取り押えることにした。そのかわり近来樽背負(たるしょい)と称して漁夫らが無鑑札で生魚を売り歩く者があり五十集商の妨害ともなるので、これを五十集商に組込んでもらいたいと組合は希望した。そこで町役人はこれを奉行所に出願したところ、6月26日に許可された。ただし樽背負は婦女および窮民が多く、にわかに鑑札を下付することが困難であったので、これを五十集商に組入れることは猶予された。