箱館と本州諸港との交通は、依然日本形船の時代で格別の進歩はみなかったが、ただ幕府の直轄となったため当地が繁栄はめざましく、従って船舶の出入が極めて頼繁となった。航海の季節は依然として晩春から秋季までで、遠方から来る船は年に1回もしくは2回の航海であるが、その船舶は大坂、敦賀、橋立および越中、越後のものが多く、近くは庄内、秋田、青森、仙台からも来た。また箱館の商人で船舶を所有し、諸港に航海する者もあって、大抵船主あるいはその船を雇った商人が、自己の貨物を積載して行くもので、今日のように賃積を目的として定期に航海するものでなかったから、一般の人々のためには、はなはだ不便であった。