いか漁鰊漁

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 いか釣漁業は、外国貿易が開けたため、やや進歩したが、当時はなお小舟に乗ってわずか半里ないし1里程の沖合に出て釣るのみで、産額も多くなかった。しかし清国向けには南部・津軽産の品を混じて箱館鯣の名をもって輸出したが、南部産は箱館産よりも良品であったため、箱館鯣の名声をあげた。