箱館の三絶巧

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 明治以後報知新聞で活躍した箱館奉行支配組頭栗本瀬兵衛(匏庵)が箱館三絶巧と賞したのは、統豊治、銅屋久五郎工藤林十郎の3人である。豊治の造船技術は前節の通りであるが、久五郎は元来鋳掛職で、極めて器用で、小はかんざし、きせるの類から、大は銃砲に至るまで、鋳るもの鍛えるものすべてをよくし、また金属彫刻にも優れていた。林十郎は木工であったが、奉行から小銃の木部の製作を命じられた際、鉄工部分まで工夫研究し、6連発、7連発の拳銃を試作した結果、まことに優れたものであったので、奉行所の同心に採用され、武器の製造に従事した。