箱館府は、慶応4年5月1日から、榎本武揚らの旧幕府脱走軍の襲来により青森へ退避する10月25日までと、翌年脱走軍が降伏し、運上所を仮事務所として政務を開始した明治2年5月19日から、開拓使長官東久世通禧が来函して箱館開拓使出張所を設ける9月30日まで、前期約6ヶ月間、後期約4ヶ月間、箱館にあって政務を担当した。前期は、北陸地方から東北地方一帯が戊辰戦争の主戦場となったため、政情が安定せず、供給物資の途絶による経済活動の低迷で、具体的な施策を遂行する財政的時間的な余裕がなく、後期は、箱館戦争の戦後処理に奔走させられ、その混乱から抜け出せないまま、開拓使へ諸務を引継ぐことになってしまったのである。