江差を逃れた脱走軍江差守備兵は、4月11日福山に入り、福山の守備兵と共にその日の夕刻、江差奪回に向かった。彼らは根部田村(松前郡松前町)で新政府軍と遭遇、これを撃破した。さらに進んで茂草村(松前郡松前町)でも新政府軍も撃破、12日には江良町村(松前郡松前町)まで進んだ。しかしここで五稜郭から兵站線が伸びすぎるとの指令が入り、福山へ戻って滞陣した。しかし14日には、二股口、木古内口とも新政府軍を撃退したとの情報が入り、再び江差を奪回すべく江良町村まで進軍したが、再度五稜郭からの指令で福山へ戻る。この夜また進軍の指令が入り、斥候として彰義隊が根部田村に進んだ。この時期最前線の状況を十分に把握していなかった五稜郭の指令で、脱走軍は右往左往してしまっていたのである。
この間、新政府軍は12日に第2陣が江差に到着した。さらに15日には黒田、太田黒両陸軍参謀率いる第3陣が江差に到着、武器弾薬の補給体制が整備されていった。17日朝、新政府軍は進撃を開始した。まず春日が江良町村、清部村を砲撃し、脱走軍を福山へ退却させた。脱走軍も福山城下入口の折戸浜の台場で防戦につとめたが、山手を回った新政府軍に背後を衝かれ混乱に陥り、さらに甲鉄、朝陽、丁卯、陽春、春日の5艦に福山城を砲撃され、18日木古内口守備隊へ合流した。新政府軍は20日、黒田陸軍参謀と増田海軍参謀が福山に入り、箱館攻略の作戦活動を開始した。