函館支庁会議所の設置

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 東京出張所で開拓使職務定制の草稿が稟議されようとしていた明治6年3月17日、函館支庁は支庁内の意思の疎通を良くするため、第36号布達をもって支庁中に会議所を設置することとし、15条からなる「会議所規則」(「会議所書類」道文蔵)を布達した。
 この会議所は、月に2回(2日と16日)、上局のもとに各課の局長副長が集まって、支庁職員は勿論、戸長副戸長提出の議案、目安箱に投入された訴訟、建白書についても衆議を尽くそうとするものであった。この会議所設置の趣旨は、庶務掛が杉浦中判官の決済を仰いだ書類(同前)に「当庁ハ開拓使ノ一支庁ト雖、其地タルヤ本邦五港ノ一ニシテ内外漕運ノ要地ナリ、故ニ外ハ各国ノ交際ニ渉リ、内ハ開拓ノ大業ヲ翼成セントス、况ヤ百廃振興ノ盛時ニ際ス、上下一心奏功ノ大旨ヲ服膺シテ拳々徙事スヘシ、苟モ壅蔽ノ害姑息ノ弊アルヘカラス、故ニ今万機公論ニ決スルノ聖旨ニ基キ、庁中ニ会議所ヲ設ケ、汎ク衆議ヲ尽サントス」と述べられている。
 第1回の会議は4月2日に開かれ、次の3議案が討議された。
 
1 外事掛大主典宮木経吉提案議案
 一 外務掛の名称を外事掛とすること(外務省は全国に関り、当外務局は一湊に関るので)
2 民事掛大主典岡本長之提案議案
 一 火の番を置く事
 一 失火の際の消防と立退の規律を作ること
 一 藝妓の売淫を禁止、娼妓と区別すること
3 建築出納局提案議案
 一 新道建設について、室蘭港以東を永久廃棄せざるの策如何

 
 宮木大主典の提案議案は早速6月14日付で東京出張所へ進達され、5月9日制定の支庁分課に反映、函館と樺太の2支庁の外国人関係事務担当課は外事課となった。
 その後、16日と5月2日に第2回、第3回の会議が持たれ、それぞれ4月16日には、町用扱所三大区ニ設ルノ議、新聞局ヲ開クベキノ議(庶務課権少主典村尾元長、新聞紙閲覧場設置を付議す)、区画ヲ定ルノ議(渡島国福島津軽檜山爾志四郡青森県所轄から開拓使所管に変更に付、函館市中に続いて区画を定めること、戸長給料の民費統一、備穀のこと)の3議案が、5月2日には、火災に罹った豊川町の地租免除ノ議、新律綱領ノ解釈ノ議の2議案が提案されている。
 ところが4月17日に会議所規則施行を東京出張所へと報告すると、東京出張所から会議所設置を認めない旨の書簡(5月12日付)が届いた。衆議を集めると弊害ばかりが目立つと決め付け、かつ支庁事務は本庁の判断の下に行われるものであり、支庁専決事項は規則内で運用されるものであるので、支庁で会議を開催する必要はなく、たとえ設けたとしても実用には適さず、事務が煩雑になるばかりだと断定した付箋と、しかし支庁内職員の協和と、市民からの声を断絶することのないようにとの但書が付いた黒田次官の指令が通達されたのである(「開公」5761)。
 この指令を受けた杉浦中判官は、5月31日、東京出張所からの回答書を付けて会議所廃止の布達を出した。函館支庁会議所は、東京出張所の一方的な指令で、結局4月2日、16日、5月2日の3回の会議開催で終わったのである。