開拓使の町会所監督強化

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 町会所に自主的な町政運営を任せてきた開拓使も、官僚機構が整備されると、町政の拡大に伴って増大してきた区入費等の民費監督を強化しはじめた。まず、明治5年12月函館支庁は次のような達書(『法規分類大全』租税門地方税)を出し、町会所の権限で徴収していた区入費坪割銭などの民費徴収について、函館支庁の許可を受けて徴収するように改めた。なお、この達中「……以後相止メ」までを引用して、この達書で区入費徴収を廃止したとする『開拓使事業報告』の記載は明らかな間違いである。
 
区入費坪割銭ト唱、是迄町会所并町用掛限取立来候処、以後相止メ候条、向後区入費坪割銭ハ勿論祭事割合、瑣細ノ取立銭共、一箇年月或ハ半箇年且其時々総計割当計算済、当庁許可ノ上雛形ノ通金員払印町会所ニテ捺印、一戸毎ニ為相達候間、速ニ出金可致

 
 次いで9年3月、前年末に開拓使事務章程が制定され事務分掌等が整理されたことを受けて、函館支庁の会計課は、学校資金、町会所蓄積金、区入費賦課など総ての民費の会計検査を民事課から会計課へ移し民費監理の純化と強化を主張した。しかし、この時は民事課の主張が通り官費により積立てた町会所予備金殻のみが会計課所管に変更された(「町会所金穀出納評議留」道文蔵)。また、明治10年2月には町会所での事務、つまり区務所事務を函館支庁内で取扱うことに変更し、同年5月には民費に属する金殻の事務は民事課所管からすべて会計課租税係所管に変更(明治10年「函館支庁日誌」道文蔵)、着々と民費に対する監督体制を強めていった。
 また、支庁記録課の村尾元長を中心に、区務取調という形で民政機構の見直しが行われ、区戸長の職制、事務章程、勤務心得等の案が作成され、官僚機構の末端としての職務の明確化を図る中で、間接選挙を基本に戸長、用掛、組長選挙法案も盛り込み、彼ら民意の代表者をどのように位置付けるかを模索していた(明治11年「区務取調書類」道文蔵)。第1回目の実態調査は村尾元長、吉田義方により10年3月に実施され、8月には取りまとめが行われている。また、市民の側からも民費の増大等により町会所における民費の使途及び経理に対する感心も高まっていた。