臨時区会まで開催して区会議員が一丸となった常備倉払下げ運動も、函館支庁によって即座に退けられ、区会権限の弱さを再確認させられたが、あくまでも常備倉払下げに執念を燃やす市民有志は、再度協議の上、8月27日払下げ再願書を作成、「(払下請願)御採用無之趣承リ候已来、人心恟々安堵仕兼候場合ニ立至リ、私共熟考仕候処、元来開拓使ニモ右事情ハ御諒察有之儀ニテ、既ニ常備倉御設置之御主意并現今マデ御施行之事跡上ニ於テモ、必哉右等御保護之御仁政ニ出タル儀ト恐察罷在候」と常備倉本来の使命を訴え、開拓使の翻意に望みをつないだ。再願書は杉野源次郎、工藤弥兵衛、枚田藤五郎、石川小十郎、林宇三郎、井口兵右衛門、小野亀治、山本忠礼の9人が函館区民総代の肩書で署名し、第1組~6組の戸長冨田五三郎、西村本次郎、小西清次郎、竹内与兵衛、相川洗心、五島勝三郎が奥印、宛名は函館支庁の開拓大書記官時任為基であった。
この願書を石川小十郎と小野亀治を除く7人が区役所へ持参し、函館支庁への取り次ぎを依頼した。取扱に苦慮した桜庭区長心得は、議会決議を経た請願さえも不採用になったのだからと再願書取り下げを説得したが、7人は是非とも再願してほしいと強力に請願した。桜庭区長心得は前回の例もあったので「区民総代」と肩書した根拠を確認したところ、協議人、組合頭からの委任状が示された。桜庭区長心得は市民総意により委託されたものと認定し、その旨を明記した副申書を添えて進達した。
しかしこの願書を受理した支庁記録課は、市民の期待に反して請願内容には全く触れずに、「函館区民総代」という肩書の調査のみを開始し、副申書の説明では不十分として詳細な説明を要求した。これに対して桜庭区長心得が、前の副申書以上に詳細なものはないと回答すると、9月1日、次の3項目を挙げて具体的な説明を要求してきた。
一、協議人、組合頭は全区人民に代って請願者に区民総代の名称を付与する権限があるのか。
二、請願人が協議人、組合頭から委任を受けた手続きを示せ。
三、9人の請願人に、2組と5組からの人が含まれていないが、それで全区の代表と言えるのか。
これに対して桜庭区長心得は9月10日、事務協議人設置及事務取扱規程と組合頭編製法(明治9年1月1日旧戸長伺済)の各権限条項を示し、協議人、組合頭の総意は市中人民の総意と見なし得ると回答、さらに委任手続は確認できなかったが、公衆に関する事件の取扱いであるので、第1項が確認されれば第2、3項は問題にする程のことではないと思うと付け加えた。
ところがこの日、「願ノ趣難及詮議候事、但、区民総代ト肩書セシ理由詳細可申出」との指令が出、願書は返却された。ここに区民総代による再願も函館支庁により一蹴されてしまったのである。しかし、請願者達は政府決定事項までも変更を迫った人達としてマークされ、「区民総代」の肩書調査の名目のもと執拗に追求されることになった。