貿易上の宿弊

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 「天然の良港」から出発し、それに甘え、貨物、乗客急増に適当な手を打たなかった函館港は、明治20年代に入り、何とかせねばならぬことが誰の眼にも明らかとなった。明治20年12月25日、函館税関は政府に次のように上書した(『函館税関沿革史』)。
 
函館港ノ義ハ種々ノ原因アリテ他港ト其成規慣例ヲ異ニシ、我カ関務執行上ニ横ハル障礙タル実ニ浸潤多年幾ント不拔ノ勢ヲ爲シ、到底外交ノ面目一変スルノ際ニアラサレハ芟除スル能ハサル義ト存候処、目下条約改正会議御公開ノ好機ニ有之候間、左ニ其弊害ノ大ナルモノ二三ヲ挙ケテ高覧ニ供ス、願クハ条約改正完結ノ日同時ニ一掃ニ帰センコト切望仕候処ニ有之候
 一 輸出入品揚卸場ノ局定セサル事
 這ハ畢竟税関開始ノ後上屋借庫ノ設久シク備ハラス道路泥濘橋梁粗弱舟車ノ便末タ普ネカラス、而シテ其貿易品ハ概ネ輸出ニシテ其過半ハ重量粗大ナル昆布等ナルヲ以テ、事情已ムヲ得ス貨主ヲシテ隨意ノ場所ヨリ揚卸ヲ爲サシメ、漸ク馴致シテ今日ノ慣行ト相成候義ニ可有之、現今港内拾余ヶ所ノ波止場有之而シテ百般ノ貨物内外人ヲ問ハス自由ニ其揚卸ヲ許スヲ以テ其不取締ナルコト名状ス可カラス、是レ函館港ノ一大欠典ニ有之候
 一 改品場ノ一定セサル事
 前項陳述ノ通夫レ既ニ波止場局定セサルヲ以テ改品場所モ亦一定スルヲ得ス、故ニ貨物ヲ積卸スル毎ニ検査吏員貨主ノ倉 庫家屋其他都テ貨物所在ノ地ニ出張シテ之レカ検査ヲ為サザルヲ得サル慣行ニ有之候間、収税上ノ利害ハ暫ラク措キ我官衙ノ権理ヲ商民ニ讓ツル決シテ小少ナラス、加之前項陳述ノ波止場タル本関ヲ距ルコト近キモ丁余遠キハ七八町ニ及ヘリ、且貨主ノ倉庫モ所々ニ散在致居候間、一人ニテ改メ得ラルヘキ貨物モ数人ヲ要シ検査ノ不便実ニ一方ニ無之、殊ニ冬季冱寒風雪ノ際ハ官吏ノ奔走労苦容易ナラサル儀ニ有之候
 一 艀船取締規則ノ制定ナキ事
 函館港ニ於テハ客舟ニ関スル取締規則ハ略ホ規定有之候得共、艀舟ニ至テハ末タ内国人ニダモ其設ケ嘗テ無之、縱令ヒ復之ヲ設クルモ輸出入品ノ揚卸場局定セサルヲ以テ百害常ニ之ト相関連シテ其功用ヲ全クスル能ハサルヘシ、実ニ不取締ノ至ニ有之候
 一 港界ノ分明ナラサル事
 函館港ノ位置タル東西二十一町南北一里余深サ四尋乃至八尋、東北ヨリ西南ニ迂曲シテ湾形ヲ為シ我国第一ノ良港ト賛称シ候、然ルニ旧来確ト示定シタル港界線無之、唯彼我ノ間ニ取結ハレタル港則ニ繋場ノ線ナルモノヲ指定セリ、而シテ繋線内ハ全ク港心ニシテ其線ハ決シテ港界ニ無之、然ルニ或ハ外国船之ヲ以テ全港ノ経界ト認メ其線路外接近ノ所ニ投錨シ、入港手数ヲ忌避シテ連日滞スルモノ往々有之、這ハ従前ヨリ黙許ニ附シ稍々慣行ノ姿ヲ為シ来リ候処或ハ右慣行ヲ奇貨トシ船用品ヲ積入レ、或ハ乗組人上陸シテ積荷ノ有無運賃ノ高低等ヲ尋問シ公然憚ル所ナキカ如キハ甚タ不取締ニ有之候
 一 以上数種ノ欠典ヨリ正スル脱税ノ懸念
 前陳ノ弊習ヨリシテ密商脱税ノ点ニ於テハ最モ懸念ノ儀有之候、設令ハ昆布ノ如キ軽量ノモノヲ以テ官吏ノ改品ヲ経了シ、之ヲ船積スルニ当テ重量ノモノト引換ユル等ノ奸策決シテ無ヲ保シ難ク候、况ンヤ近年内国汽船定期航路ヲ開キシヨリ本港ニ於ケル海外輸出入ノ貨物ハ大抵之レニ梱載スルニ至リ候、而シテ陸ニハ波止場ニ内外ノ区別ナク船ニハ外商内買ノ貨物ヲ混載シ、而シテ之ヲ運搬スル艀船ニハ一ノ検査法ナキカ如キニ至テハ取締上一層ノ困難ニ有之候
 扨テ前陳ノ状况ナルニ因リ、明治十年上屋借庫ノ建築新タニ落成シ税関タルノ体裁既ニ準備セルヲ以テ、是非トモ波止場ヲ局定セント当時ノ関長ヨリ在留各国領事ニ商議ニ及ヒ候処、或ハ道路狹隘ニシテ橋梁ハ貨車運転ニ適セス或ハ貨物ノ性質他港ト異ナルニ因リ他港ノ例ヲ以テ論スヘカラス等、種々ノ口実ヲ設ケ何レニスルモ波止場ヲ一定スルニ商人ノ便利ヲ妨害スル容易ナラサル旨ヲ主張シ遂ニ其議不調ニ帰シ候
 小官赴任以来現地ノ情況熟察候処、波止場ノ局定セサルハ如何ニモ百弊ノ根源タルニ相違無之候得共、積年ノ慣行一朝容易ニ着手難致(中略)今ヤ当港モ道路広濶橋梁堅牢全港一般其観ヲ豹変シ、亦旧時ノ函館ニ無之候間、右等ノ弊害ハ条約改正完結ノ日ヲ期シテ断然一掃相成候様仕度予メ供高覧置候也