内国貿易の展開

659 ~ 660 / 1505ページ
 いま、移出入の統計が明らかになる明治10年から14年の管外移出入品価額を港湾別に示したのが、表6-1である。松前三湊といわれた福山、江差は、明治10年に、すでに移出入とも両者あわせてようやく函館と並ぶにすぎなくなっていた。特に城下であった福山の退潮は著しく、明治14年には移出が50万円余、対全道比7.1パーセント、移入が63万円余、対全道比5.1パーセントで、移出入総額の対全道比は、わずか5.8パーセントにおちこんだ。福山は、港としての機能が劣っていたうえ、出入荷物も、居住することが義務づけられた場所請負人や、松前藩士にかかわるものであるという、きわめて政治的に繁栄してきた港であったため、廃藩と共に、急激に衰退したのであろう。鰊二八取漁業の根拠地として栄え、鰊製品の積出港でもあった江差は、移出入の対全道比を低下させる傾向にはあったが、明治14年でも、移出が92万円余、対全道比13.3パーセント、移入が103万円余、対全道比8.4パーセントで、移出入総額では、全道の約1割を占めていた。
 一方、函館の移出入の対全道比は、上昇する傾向にあり、明治14年には、移出が271万円余、対全道比38.5パーセント、移入が862万円余、70.0パーセント、移出入総額1133万円、対全道比58.5パーセントで、北海道に出入する物資の約6割が函館を経由していた。
 また、新興の小樽は、明治12年には、移出入総額で全道の14.4パーセントを占め、江差を上回ったが、明治14年のそれは、11.1パーセントに低下している。港湾商業都市としての基礎が浅く、開拓使の施策に左右されたためであろう。
 この時期の北海道の内国貿易は、わが国の商品流通に意外なほど大きな位置を占めていた。山口和雄「明治十年代の北海道貿易」(『明治前期経済の分析』)は、明治10年代前半の統計を使い、北海道は全移出額において三重、大阪、兵庫についで第4位(東京を除く)、全移入額においても東京、大阪、三重についで第4位で兵庫を凌駕しており、北海道の移出入は、わが国の外国貿易額に匹敵していたと指摘している。この北海道の移出入額の6割を占めていた函館の港湾商業都市としての実力も、おのずから明らかであろう。
 
表6-1 北海道管外移出入品価額港湾別(明治10~14)
年 次
区分
全道
函館
福山
江差
小樽
金額
比率
金額
比率
金額
比率
金額
比率
金額
比率
千円
千円
千円
千円
千円
明治10移出
移入




800
876
1,676


359
308
667


446
321
767






明治11移出
移入




1,593
2,082
3,675


531
326
857


699
467
1,166






明治12移出
移入
6,001
5,491
11,492
100
100
100
1,821
3,023
4,844
30.3
55.1
42.2
690
487
1,177
11.5
8.9
13.3
845
729
1,574
14.1
13.3
13.7
855
795
1,650
14.2
14.5
14.4
明治13移出
移入
7,478
10,028
17,506
100
100
100
2,297
5,194
7,491
42.2
51.8
42.8
790
822
1,612
10.6
8.2
9.2
1,141
1,391
2,532
15.3
13.9
14.5
1,094
1,469
2,563
14.6
14.6
14.6
明治14移出
移入
7,042
12,326
19,368
100
100
100
2,713
8,623
11,336
38.5
70.0
58.5
502
630
1,132
7.1
5.1
5.8
927
1,034
1,961
13.3
8.4
10.1
875
1,279
2,154
12.4
10.4
11.1

『北海道史』付録より作成