付属船の収支状況

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 開拓使付属船は函館をはじめ、道内海運での役割は大きかったが、一方開拓使の直営になる海運事業という面からみれば不採算部門の1つであった。
 
 表7-7 函館支庁所管の付属船収支
種別
船名
運航数
収入
支出
汽船玄武
矯寵
函館
沖鷹
福山
17
34
26
33
15
48,815
13,381
30,907
5,319
5,132
26,923
17,128
20,555
5,231
5,042
帆船乗風
清風
西別
単冠
千島
第一石狩
第二石狩
第三石狩
第四石狩
5
6
6
5
貸 切
貸 切
貸 切
貸 切
貸 切
4,455
6,120
4,572
3,214
131
210
286
180
181
2,820
3,646
3,121
3,349
385
99
353
57
60
 
  132,91188,775

 『開拓使事業報告』より
 収支欄の単位は円、ただし単位未満は切り捨て
 
 表7-7のとおり各年度全てが支出が収入を上回り欠損の連続であった。こうした事情について明治13年4月17日付の函館支庁の時任権大書記官から黒田長官への伺書で知ることができる。
 それによれば函館支庁の付属船は貨物積卸に要する日数以外の函館港碇を極力さけるように尽力し、また修理を要する場合にも工事日数などを短縮して全面的に稼働するなどの配慮をしてきている。函館からは特に道内各港へ付属船を運航させているが、函館丸は一般荷物で600石の積載能力があるが、締粕、干鱈といった道内の海産物は容積のかさばるものが多く、実際には350石程度、矯龍丸も500石の能力があるのに対し、同様の事情から250石程度しか積載できない。時任はこのように輸送効率の低さを訴えている。そして12年下半期での両船の収支は前者が1443円、後者が742円の欠損であるが、将来的に黒字への転換は輸送効率の低さ、つまり輸送能力が低いため難しいと述べている(「本課伺届録」道文蔵)。三菱会社などの民間の海運会社は運営の徹底的な効率化により採算性を最優先させたのに対し、開拓使の付属船経営は北海道開拓の使命から採算を度外視してでも運航せざるをえないという面を持っていたのである。