こうした新聞の論調も契機となったと思われるが、函館区長の長曽我部道夫は12月24日に函館商工会に対して(1)定期航路の延長による函館への利害の有無、(2)前項で函館に不利になるとすれば、それに対する対策は、という2点について諮問した。これに対して商工会は直ちに役員会を開き種々協議して同月28日付けで答申をした。
商工会の答申は「函館新聞」で展開されたことと同じ趣旨であった。すなわち従来小樽周辺の貨物は函館発着の便の関係で函館に集荷されていたものが、それらの分は小樽に集中するという事態になること、寄港地ということで旅客の滞在も減少し、それらの影響が出ること、港湾荷役関係への波及などであった。そのため、その影響を最小限にとどめるために延長する神戸・小樽線とは別に函館・神戸線を存続させ2隻の定期船を就航させること、寄港の場合でも横浜行きの場合は滞泊時間を従来通りとすることなどを申し入れることとした。しかし商工会ではたとえこれらの要望がいれられても従来の航路の在り方に比べると不利であることはまぬがれないと強調している。
商工会は区長に答申するとともに日本郵船の支店に対し会頭の平出喜三郎名で同じ内容の申し入れをした。郵船の函館支店ではこういった地元の要望を本社に伝えた。これに対して21年10月から23年9月の函館・神戸線での輸送量が全体で7万トンあったが、函館・京浜間の輸送量がそのうちの80パーセント強を占め、函館・阪神間の貨物輸送の割合ははなはだ低いといった実情をふまえた郵船の本社は改正便とは別に3月から函館・横浜間に定期船1艘を配して定期航海をすること、定期航海外に繁忙期には横浜、神戸などへの臨時便を就航すること、碇泊時間は函館の事情を配慮するといったことなどを決定して翌年の1月15日に回答した(『函館商工会沿革誌』、25年1月20日「北毎」)。函館の要望がある程度受け入れられたとはいえ、商工会側では「二十五年ニ在テ第一ニ当地ノ商業上ニ影響ヲ及ボシタルモノハ郵船会社ノ定期航路ヲ小樽ニ延長シタルモノ此ナリ元来当港ヲ定期ノ極点トシテ小樽ヘハ更ニ当港ヨリ仕向タルモノ故ニ出入ノ旅客、出入ノ貨物ハ一旦当港ノ埠頭ニ留マリ当港ニ倉入レナシ当港ニ於テ薪水其他一切ノ供給ヲ為シタルヲ以テ其間商人ノ手ニ売買セラレ多数人夫ノ手ニ運搬セラレ旅人集合シ、貨物輻輳スルガ故ニ万般ノ購買力ヲ増加シ其影響ハ一般ノ商業ニ収利鮮少ナラサリシカ航路一タビ延長スルニ及ンデハ大ニ其状態ヲ変ジ其等ノ利ハ多ク小樽ニ移転シ」(「函館区商業材料並区務報告」河野文庫・道図蔵)と分析しているように、この航路延長によりこれまで函館に集荷されていた岩内、古宇、余市などの貨物は徐々に小樽に移っていった。