経済基盤の移動と出張所への降格

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 これまで前述のように、北海道には函館に支店、小樽と札幌に出張所を置いていたが、「時勢の推移に従ひ同道の経営上及金融上の勢力は漸次小樽に帰し、函館は之に比し稍其重要の度を減ずるに至」った一方、「札幌は小樽と近接し経済上互に密接の関係の関係を有するを以て、別に出張所を置くの必要を感ぜざるに至」った(『日本銀行沿革史』第1輯第1巻)。このため、明治39年8月20日、小樽出張所を小樽支店と改め、北海道支店を函館出張所(明治40年8月25日大火で類焼、11月4日豊川町59番地に移転)と改称するとともに、同月19日限り札幌出張所を閉鎖した。
 明治44年5月12日、京都、福島、広島、函館、金沢出張所は、その事務の実際上支店に比較して特に名称、組織の区分をするほどの差異もないので、出張所をすべて支店と改称し、6月1日より実施することになった。なお明治末年の日銀支店数は9つとなった(『日本銀行百年史』第1巻)。