30年7月に、資本金1万円(払込済5000円、出資社員10名)で創立された函紡製紙合資会社は、東川町の工場で鶴岡町の石塚又一郎の発明、特許を得た蒸気力利用の器械を使用して漉直し紙の製造をはじめた。職工は10人であった。石塚又一郎は区内で無駄に棄てられている紙屑類を拾い集めて漉直す事業は、廃物利用となり利益も多いことに着眼したのであるが、在来の方法では冬期間、戸外で製紙の乾燥ができなかった点を考慮し、蒸気力により屋内で乾燥する方法で開発したのが、この製紙器械であった。
最初の2か年は損失が続き、営業の中止を考えたといわれるが、それまで原料の紙屑を区内の個人または府県より買集めていたのを、一切区内の紙屑問屋からの仕入れに改め、販売も小樽、札幌、その他網走方面からも注文が来て、34年には3割の利益配当ができるようになった。販売は区内が5割、道内が4割、残りの1割が秋田方面であった。この製紙業界でも37年頃から大阪の業者が進入して来て競争が激しくなっている。32年以降の状況は表9-37で示した。