天然氷

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 天然氷の函館港よりの移出は、平年1月下旬より3月上旬までであるが、著名な産地の五稜郭氷は23年までは中川嘉兵衛、24年は池田某、25年から山田啓介が経営していた。山田は京都に本店をおき、函館の真砂町を支店として、龍紋氷室と称して函館の移出額の約3分の2を取扱った。38年では、函館区および付近の20余か所で、1万数千トンの伐氷がされ、9割を府県へ移出した。その金額は2万円を上回っている。移出先は東京、神戸、大阪が主で、その他九州など全国各地にわたっている。しかし、この頃より器械製氷が起こり、京都、名古屋、広島など函館天然氷の需要地は人造氷に圧倒され、他の都会地でも人造氷と激しい競争が展開されるに至った。しかし、函館天然氷は品質の良さが認められていたのと、氷の需要増加があったので格別に移出額の減少もみなかった。龍紋氷室のほかの氷商は、かつて中川嘉兵衛の支配人であった北原鉦太郎、守田岩雄、高橋浦次郎等であった。