変則中学校

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 6年3月、函館支庁は「学制」に準じた学校教育体制を確立するための「函館学校改革案」を東京出張所へ提出した(「開公」5756、第1節2参照)。その中で、既設の学校(函館学校)は、「生徒至て少なく随て学業敏達の者も無之」状況なので閉校するが、生徒の中には「有志の者」もおり、今回の改革で「放逐」しては「甚不条理」なので、見込みのある生徒のために「従前の学校」を使って変則中学校を開校し、いずれはそれを中学校へ移行したいとした。「学制」では正規の中学に類似した学校として「書器未タ備ラス此際在来ノ書ニヨリテ之ヲ教ルモノ、或ハ学業ノ順序ヲ蹈マスシテ洋語ヲ教ヘ又ハ医術ヲ教ルモノ」を変則中学校と規定している。
 こうして函館学校は、5年10月に併設されたロシア語学科(次項参照)を除き、6年8月12日閉校され、該当する生徒のために変則中学校が開校することになった(「開公」5756)。
 御用係葵慎吾(5年10月依願免職した堀達之助の後任、6年3月着函)をはじめ数名の教員も決まり、6年10月24日、「来ル十一月四日ヨリ入学差許候」という変則中学校開校案内と仮規則、教則略が市中に布達された(明治6年「御布告」)。布達文および仮規則、教則略によると「十三歳以上十八歳以下」の「官員ヨリ農商平民」にいたる「本人」、「有志ノ者」が対象で、教科は英語・数学の2科、予科に漢学も教えた。入学願書提出日と入校日はそれぞれ月1回で、すべて通学、授業料は月額25銭(当分の間は半額の12銭5厘)、課程は1~6級までで1級6か月で在学3年、6級から始まり卒業試験を経て上級へ進むようになっていた。
 称名寺(現在の市立弥生小学校付近)の一部を借り上げた校舎で、11月4日、函館支庁関係者が出席して開校式が行なわれた(明治6年「函館支庁日誌」道文蔵)。