全科併設校

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 表10-8 区内官・公立小学校在籍児童数
学校名
松蔭
内澗
常盤
住吉
第一女
明治 8
9
10
11
12
13
14
100
165
142
191
102
138
165

165
192
296
焼失



167
165
焼失




164
焼失




71
88
72
85



340
405
475
475




焼失


 『函館市史』統計史料編より作成:年末現在数
 第一女は第一公立女学校のことで12年の開校時の児童は180人
 
 宝小学校は、第16大区を中心とする有志の醵金2828円余を元に、官民協力して11年3月宝町の一角に着工、同年7月10日開校式を挙行した。宝小学校の開校を知らせる6月の函館支庁の告示には「…生徒凡ソ三百三十名ヲ限リ、先第十六大区ノ学齢相当ノ者ヨリ入学セシメ尚余地アラハ其他各区ヨリ入学差許候条…」(明治11年「函館支庁布達原書」道文蔵)とあり、ほかの公立小学校と比較し規模の大きな小学校であったことがうかがえる(表10-8参照)。完成した学校について7月12日の「函館新聞」は「(前略)校の造営は表間口十七間裏行二十間にして中間に七間に八間の中庭あり、玄関に向て正面左の間は教員の詰所にて三間半に三間、右方は男生徒の控所にて七間に三間半、教員詰所の後ろは女生徒の控所にて四間に三間半、左方板の間を隔て応接所あり、其れより中庭の三方を折廻して左右の教場は三間半に四間半九か所、其奥は三間半に四間の教場二か所なり(以下略)」と伝えている。町外れに位置し12年の大火の災難を免れた宝小学校は、市街の東部地区への発展も関係し、以後函館の学校教育の要となっていった。
 弥生小学校は前述しているのでここでは省略するが、この弥生小学校建築費の残金を基本にさらに寄付を募って、旧第一公立女学校跡(元町4)に15年10月29日開校式を挙行したのが、函館公立女学校である。大火後の校舎不足と男女混同の弊害解除のために是非女学校を開校したいとう石黒源吾の「女学校設立願」(15年2月14日付「函新」)も区民を動かし、階上3教室・階下8教室それに女礼裁縫用の20畳敷の和室を備えた女学校の開校となった。この女学校には附属・住吉・宝・弥生各小学校から女子130人を移し、主任は函館師範学校教員神谷みちが兼任した。16年5月校名を函館女子小学校と改称した(明治16年「函館区役所伺留録」道文蔵)。
 その後16年8月21日をもって函館女子小学校は廃止となり、附属小学校として校舎一切が函館師範学校へ引き継がれた。この際県より3000余円が小学校新築費として下付され、8月には幸小学校が新築された。