私立諸学校

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 開拓使時代の後半そして函館県時代になると初等教育修了の者も徐々に輩出されるようになり、彼らを対象に一段高尚な一般教育を教える施設が必要となってきた。それを補ったのが私立の諸学校である。ここでいう諸学校とは学則・校則などを制限する法規がまだ完備していない、つまり統一した設立基準のない学校のことである。開拓使や函館県時代の私立諸学校の開設・廃止は表10-15のとおりである。
 
 表10-15 開拓使・函館県時代の私立諸学校
学校名
学科
所在地
生徒数
授業料
校主
許可年月日
商船学校
嘯山私塾
済美学舎
桜井夜学校
勧学場
商業学校
運用技術航海測量
和漢学
英学・数学・航海術
英・漢学科
 
商業科
内澗学校内
曙町
宝町39
大町36
恵比須町34
富岡町
40
 
25
50
50
無月謝
 
1円
無定限
20銭
世話係(小林重吉他)
村尾東作
大場律平
桜井昭悳
藤田重次郎
土屋金次郎
12.   2.14 ①
      ②
15.10.   7 ③
15.10.15 ③
15.10.12 ③
      ④

 出典:(1)明治12年「願伺届録」、(2)明治15年『函館県学事第1年報』、(3)明治15年「学校設立伺留」、(4)明治16年『函館県学事第2年報』
 
 この諸学校について「所謂旧寺小屋ノ類ト相距ル甚タ遠カラス…而シテ該校不完全ナルハ即チ不完全ナリト雖トモ、未ダ其風教ニ弊害アルノ点ヲ見ズ」(『函館県学事第一年報』)あるいは「其学期ヲ定ムルモ未ダ嘗テ其学校其学期ヲ完了セル生徒アラズ、…彼ノ廃止シタル三校(済美学舎・桜井夜学校・勧学場)ノ如キハ存廃ヲ以テ其影響ヲ学事上ニ及スノ力ナシ、其廃止ニ至ルモ亦必然ノ勢ナリ」(『函館県学事第二年報』)と報告しているように、学校としてまだまだ不完全なもので学事上に及ぼす力はなく、学校の消長のテンポは速いものだった。そういうなかで、官吏村尾元長の父村尾元矩(号名嘯山)が15年10月曙町に開設し、19年7月末廃塾となった嘯山私塾と、東京商業学校出身の土屋金次が16年11月富岡町に開校し、翌18年6月廃校した商業学校は、まずまず息の長い学校だったといえる(『函館県学事第二年報』、『函館県学事第三年報』、同18年「学校等設置廃止書類」道文蔵)。