明治24年新築の函館商船学校
函館商船学校は22年10月再び火災にあい焼失、一時旧弁天砲台を仮校としたが、再び小林重吉・田中正右衛門らによって商船学校再設請願書が出され(同前)、24年4月1日には東京商船学校長中村六三郎を迎え新校舎の落成式が挙行された(4月2日付「北海」)。この席上東京商船学校の中村校長は、本(24)年度経費節減のために本科生徒67名はすべて東京商船学校へ編入、大阪同様に函館では別科生徒の養成のみにあたることを報告した。高尚に傾く商船学校では地方船主の意に適さないので、今後は現役海員の再教育を主に置き、地域にあった海員養成をしていくというのである。この改正は、すでに校舎建築中から話が出ていたらしく、3月末近くの新聞「北海」には「函館商船学校に関する噂」、「函館商船学校の大改革」、「中村東京商船学校長の談話」などと題した記事が連載されている。
こうして24年5月5日の勅令第45号「商船学校学校官制」の公布により、「大坂・函館ニ商船学校分校ヲ置キ、簡易ノ学術及技芸ヲ教授ス」(第2条)として、函館商船学校は正式に東京商船学校の分校となった。