表10-21 函館教育協会初期の役員
役 職 | 明治14年 11月 | 明治15年 6月 | 明治15年 12月 | 明治16年 | 明治17年 7月 | 明治18年 1月 | 明治21年 | 明治22年 |
会 長 | 村尾元長 | 村岡素一郎 | 村岡素一郎 | 村岡素一郎 | 素木岫雲 | 素木岫雲 | 二木彦七 | 二木彦七 |
副会長 | 村岡素一郎 | 村尾元長 | 内山例之助 | 村尾元長 | 村尾元長 | 村尾元長 | 素木岫雲 | 池田酵 |
幹 事 | 前田憲 原直次郎 | 前田憲 原直次郎 | 前田憲 原直次郎 | 原直次郎 荘田三平 新保磐次 | ||||
書 記 | 吉田元利 岡野敬胤 | 吉田元利 佐藤重記 原辰四郎 井上小四郎 | 佐藤重記 小松三平 原辰四郎 長谷川四郎 |
函館教育会『函館教育協会沿革誌』(昭和19年)による
2代会長村岡素一郎 榛葉英治『史疑徳川家康』より
3代会長素木岫雲 『函館教育会沿革史』より
協会の事務所は、最初函館区富岡町5番地の北溟社内に置かれていたが、その後仮事務所が同区東浜町36番地(内山例之助方、同17年9月)、同区天神町95番地(同18年1月)、同区会所町20番地(岡本竹次郎方、同年12月)、同区曙町8番地(同19年4月)としばしば移転している。
また、地方組織として函館区外に分社(分会)があり、判明しているかぎりでは、協会設立直後の明治15年現在、歌棄、磯谷、戸井、亀田の4か所に存在していた(前田憲は5分社と指摘しているが、もう1か所は不明(『函館教育協会雑誌』第1号)。この中で最も早く設立されたのは、恐らく歌棄分会であろう。『北海道学事新報』第9号には関連記事が、また同第10号(明治15年2月25日発行)には「歌棄分会通信」が掲載されているが、これらによれば、同地の歌棄学校教員小川景義が中心となり、15年1月に会員10名で分社が設立されている。
その他の分社の設立は不明であるが、磯谷分社は「七月以降社員欠席多ク到底廃社モ同様」の事態となったため(『函館教育協会雑誌』、第4号、明治15年12月13日発行)、同年12月2日、「分社廃止ノ儀」を協会宛に連絡してきている。即ち、磯谷分社(会)は、11月までにほとんど休会同然だったのである。同じ11月には戸井分会も独立しており(同上書、第5号、明治16年1月30日発行)、亀田分会(会員15名)が存続するとはいえ、協会の受けた打撃は大きかった。このことは、同年12月に作成された「第二期報告文」(同上書、第5号)において、「分会中止及独立ノ事」に言及していることからも明らかである。