痘苗の製造

1385 ~ 1386 / 1505ページ
 牛痘苗がなかなか貴重であったことは前に述べたが、函館における牛痘苗の製造については、医師高島精一の事績が挙げられる。丸山浪人の『北門名家誌』に記されているところによれば、明治13年に函館で開業したが、天然痘が猛威をふるい、落命する人々がいることを憂えた。そこで14年に東京の「種痘積善社」の分社を函館に設立しようとして上京したのである。そして1か月後、「積善社」分社を仮設して、牛舎を設けて多年にわたって研究を重ね、18年に内務省の試験を受けたが許可がおりなかった。そして再び24年に試験を受けると、好成績を得て函館だけではなく全国的に高島の牛痘苗が用いられるようになった。高島は地蔵町に大日本牛痘種継所本部、仙台にその支部を置いたが、後年伝染病研究所が一手に製造するようになったので、それ以後民間で製造することはなくなった。