支場の設立

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 蓬莱町に女紅場が開設された翌月の6月1日、もう一つの遊里である台町にも女紅場が開設され、蓬莱町を本場、この台町を支場とした。
 支場は12年の大火に類焼し一時休場していたが、3年ほどたった15年4月、台町の世話方から昨年来しばしば申し出のあった支場の再建について、「至極適当ノ場所」があったので女紅場資金で購入し再建したいという協議書が、女紅場取締から県あてに提出された(明治15年「賦金関係書類」道文蔵)。場所は現在の魚見坂中央付近であった。こうして16年11月8日支場が新築・再開され、90名の娼妓と35名の芸妓が収容された。再開後の支場の課業は裁縫と洗濯のみで、主に依頼品の調製を行い、本場がすべてを管理した(明治16年11月10日付「函新」)。なお幸いなことに、この12年の大火に本場は類焼を逃れている。