ユースデン夫人
12年3月末、イギリス領事のユースデン夫妻が女紅場を見学することになった。函館支庁の勧業係は女紅場の責任者へ洋服、シャツなどの「洗濯品及裁縫品ノ内、成丈佳麗ノ品二三種取揃置、参観ノ節一覧ニ供候様御手配有之度」(明治12年ヨリ累年「女紅場書類」道文蔵)と要求、外国の要人に対し同場での西洋洗濯や洋裁の成果を一覧させた。この一覧が功を奏したのか否か、翌月ユースデン宅に呼ばれた女紅場取締の常野与兵衛はそこで洗濯機を紹介され、早速「英国領事館ニ於テ運用拝見仕候所至極弁利ノ器ニ御座候ニ付、以来女紅場ヘ備度奉存候」(同前)と西洋洗濯機のほか火のし(アイロン)・セッケン・糊などの購入願いを提出した。こうして「工業ヲ増進スル斗ナラス器械術ニ良生スル一端」(同前)にもなると、ユースデンを通じ洗濯機ほかが女紅場経費で購入されたのである。
函館支庁はその洗濯機を使って本格的な西洋洗濯の方法を伝授することを計画し、洗濯機が到着し12年の大火の被災も一段落した翌13年1月、下大工町(旧函館八幡社社地内、現元町)に213円余の経費をかけて21坪ほどの西洋洗濯伝習所を建設(『開事』)、同所の教師にユースデン夫人を招へいして、1月26日開所式を行った(1月27日付「函新」)。伝習所の生徒に、女紅場より選ばれた5名をはじめ、女紅場の洗濯教師や女学校の教員などで(明治13年「女紅場書類」道文蔵、『師範学校第一年報』)、彼女たちはそれぞれ女紅場や学校に戻り、生徒たちに西洋洗濯を伝授したのである。次は13年2月から7月までの間に西洋洗濯伝習に励んだというので勉励賜金を受けた人たちの名前、役職名と金額である(前掲明治13年「女紅場書類」)。
奥山コカ子(女紅場西洋洗濯教師、十六年六月まで在任)五円/今サワ(第一公立女学校教員)二円五〇銭/柴沼カツ(同上)二円五〇銭/原ユキ(同上)二円五〇銭/佐々木フサ(同上)二円五〇銭/渡辺カツ(同上)二円五〇銭/小嶋ハツ(西洋洗濯伝習所生徒、十四年十一月から十六年六月まで女紅場西洋洗濯教師)一円五〇銭/森下エイ(同上)一円五〇銭 |
13年10月ユースデン夫妻は任期を終え函館を去ることになり、この西洋洗濯伝習所も翌14年1月8日をもって閉鎖された(『師範学校第一年報』)。なおこの伝習所の経費も女紅場同様賦金でまかなわれた(明治13年「女紅場書類」)。