この厳戒令施行にともなって、要塞地帯法違反としてまっ先に取締の対象とされたのは、いわゆる「露探」嫌疑者であった。例えば、この嫌疑を受けた人々17名に対して函館からの退去命令が出されているが(明治37年2月14日付「函館新聞」)、以後もこの措置が取られたようである。そして、「露探」とされたのは、まず函館在住のロシア人、例えば蓬莱町72番地に居住するゼ・ガーメン、トラヒンの他に、日本人細谷テイと結婚していたピョートルやフーザベリフ、さらにセミヨノフ商会の支配人デンビー、テリーといった人々であったが(2月18日付同前紙)、ロシア領事館の日本人書記笠原與七郎も同様の嫌疑で退去させられている(2月14日付同前紙)。
この他、前記の戒厳司令官の執行権の内、ロの「軍需に供すべき民有の諸物品」の輸出禁止問題について、「今より心配するもの」がいたようであるが(2月17日付同前紙)、その後の経過は明らかではない。