円筒土器文化

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 円筒土器文化は、縄文時代前期から中期にかけて東北地方の秋田、岩手、青森三県と北海道の日高、空知、石狩各支庁管内に至る道南地方に分布するが、山内清男の研究によって、青森県など東北地方では次のように細分されてきた。その区分は、縄文時代前期の円筒下層a式、b式、c式、d式、縄文時代中期の円筒上層a式、b式、c式、d式の八形式区分である。つまり縄文時代前期には円筒下層a式から順次d式まで続き、更に縄文時代中期に円筒上層a式からd式まで続いて、土器の編年が系統的につながっているという区分である。これに対し大場利夫は、縄文時代前期と中期の境をサイベ沢遺跡第一四層の、遺物や木炭を含まない粘土層に置き、縄文時代前期の出土土器下層1を第二二層、下層2を第二〇・二一層、下層3を第一八層、下層4を第一五・一六層とし、中期は上層1を第七~一四層、上層2を第五層、上層3を第二~四層の土器とした。層位的に発掘した資料も、ある時期には地層の流れによって上層と下層が混在して再堆積することもあり、層位的発掘資料が編年的に不動のものとはいえないにしても、北海道の縄文時代前期から中期の編年関係が明らかにされた。
 発掘地点は、第一地点のほかに第一地点から西約六五メートルにある貝層の露出地点をも調査した。この第二地点はがけに貝層があり、第一地点より貝層が厚く、混土貝層と呼ばれ、純貝層はあまりなく、堆積土に貝殼が多く混在していたところである。位置は台地から沢に下る細い道があって、トチの木が生えている近くである。この地点も貝層を掘るためには沢を埋めなければならず、細い道の部分と更に台地上にかけての傾斜地のみを発掘して第一地点との編年的対比が行われた。ここの堆積層は第一地点に似て遺物を包含する層が四メートル近くもあり、貝層が三層介在していた。上部の貝層は縄文時代中期、中間と下部の貝層は縄文時代前期のものであった。遺物の層位関係は第一地点と同様であるが、殊に縄文時代前期の資料が多く、中期の資料は少なかった。