煉瓦台遺跡で新しく発見されたものは、土器製造所跡の一部である。これまで土器がどのように製作されたか明らかではないが、一号貝塚に程近い所に、粘土の集積地があった。ここは住居跡と貝塚の中間で、住居構造などが発見された地下六〇センチメートルの黄褐色粘土層面に、高さ推定一メートル、径五メートルばかりの範囲に、良質の粘土が集積してあった。この集積地の南側に二か所の穴があって、ここから粘土を採取した痕跡(こんせき)がある。余市式土器片が数片混入していたが、これは近くから運び込まれたもので、必要に応じて粘土を採取し、土器作りをした場所であろう。現在の煉瓦工場は遺跡の北西で、台地から下った所にあるが、この工場の粘土も離れた所から運んで煉瓦を製造している。粘土の採集地がどこであるかは聞いていないが、土器製造跡の粘土と同じものが用いられているのかもしれない。