名主の制度が設けられた年代はつまびらかではないが、元和(一六一五―二三)年間ではなかろうか。『維新前町村制度考』(函館市史史料編第二巻所収)には「其最古キハ元和年代ニアリ。箱館近傍ニテハ亀田郡各村ノ如キ、七重〔今七飯村ナリ〕ハ元和年代ニ名主ノ設アリ。」と記されている。
亀田郷の名主は、奉行―代官―下代の下にあって亀田郷を治めたが、後代の前幕府直轄時代のように一村に一名の名主が置かれていたわけではなく、亀田郷全体を一名ないし二名(大部分は二名)の名主で管轄し、名主の下に年寄、これも亀田郷中全体で二名から五名くらいが置かれ、更にその下に小頭が置かれるようになった。小頭がいつころから置かれたものか、詳細は不明であるが、安永三(一七七四)年には各村に小頭が置かれていた。
なお名主は下代を兼務したことも多く、その時は職名としては下代兼名主と名乗っていた。