榎本軍の蝦夷地上陸

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榎本軍鷲の木上陸(市立函館図書館蔵)

 慶応三(一八六七)年、大政奉還が行われ、明治新政府が誕生したが、旧徳川家臣の大部分は職を失って路頭に迷い、また、新政府のやり方に不満の武士たちは各地で不穏の空気を包んでいた。こうした情勢の中で、旧江戸幕府海軍副総裁榎本釜次郎を始めとして、陸軍奉行松平太郎、海軍奉行荒井郁之助、大目付永井玄蕃らは明治元年八月十九日、開陽丸以下八隻の艦船に総勢二、〇〇〇名を乗せ品川沖を脱出した。途中暴風雨のため二隻を失なうという損害を受けたが、ようやく仙台藩松島湾に入港し、ここで会津の戦闘に敗れた旧幕臣大鳥圭介、土方歳三らと合流し、遊撃隊、彰義隊、士官隊、陸軍隊、新撰組など三、〇〇〇名を乗艦させ、開陽、回天、蟠龍、長鯨、神速、大江、鳳凰の各艦船で蝦夷地に向けて出航し、明治元年十月二十日森村鷲の木に上陸を敢行した。