箱館府では協議の結果賊兵(榎本軍)を打ち払うことに決定し、七重方面から箱館府兵と津軽藩兵、大野方面からは箱館府兵と松前藩兵を出撃させ、二十二日夜峠下に夜営中の旧幕軍宿営地を攻撃させたが、激しい戦闘にもかかわらず、府兵側は戦い利なく七重付近まで退陣した。
この状況を見た箱館府は、二十三日大野方面に福山藩兵、大野藩兵を増援部隊として投入し、榎本軍は城山郷(現在七飯町藤城)に進出し、山手に陣取った官軍側と平野部より攻撃する榎本軍と激戦になったが、官軍は敗退して防衛地点を大川村まで後退させ、二十四日には大川方面に津軽、福山、大野方面に福山、津軽、大野、松前の諸藩兵をそれぞれ配置して大川から七重へ向けて進軍を試みたが、いずれも激戦となり、ついにここでも敗れ、二十四日夜には大川から亀田村へ退却せざるを得なくなり、一方松前藩兵は同藩の穴平(上磯町)にあった出張陣屋に火を放ち退却するような有様であった。