明治初期における開拓使の政策は、前時代と同じように森林の保護禁令政策に重点が置かれ育成対策があまり考えられておらず、これに加えて開拓使の外人顧問たちは、木材の利用や移出方法に林業開発の重点を置いており、「開拓使事業報告第一編」によれば、W・Sクラークは次のような意見であると記されている。
現今ニテハ市場ノ外ハ木材ノ価ナシ。故ニ大害ヲ為ス者ハアルヘカラス。又徒ラニ伐木スル者ナカルヘシ。現今ニテハ材木生育栽殖ニ大金ヲ費スハ良策ニアラス。札幌近傍猶然リ。況ヤ是ヨリ西南地方広漠タル山林、今ヨリ百年間ハ此人民ノ需用ニ供スルニ足ルヘキナリ。
この外人らの政策は、北海道奥地の大森林地帯であるならば、妥当な意見であるかもしれないが、早くから開け伐採が行われ荒廃していた亀田、大野、七重、茂辺地等の山々では少し無謀な考え方であった。このような諸種の実情を考慮した函館支庁は、外人顧問の考え方を採用せず従来と同じように、禁伐令、無許可伐採の禁止、野火の注意そして植樹の奨励等の政策を進めたのである。すなわち明治五年七月材木、薪炭用材及び売木の無許可伐採を禁止し、更に明治六年三月「山林仮規則」十二条を布達し、山林保護及び山林育成政策をとっている。
明治六年三月函館支庁第六十六号布達 山林仮規則(抄)
第一条 村々の者共春に至り野火を放ち候より数日鎮火致さず、燃移り諸木の病を生じ、且つ延焼、風順等より人家にも移り、其の害容易ならず候間、以後放火決して致すまじく、自然不慮の過より野火に相成候はば最寄りの村々より早々出張消防致す可き事
第三条 樺剥、椎茸或は鍛冶炭焼等謂れなく諸木を伐り荒し候儀決して致すまじく候事
第五条 近山は勿論深山にても伐木致候えば、其の跡に必ず苗木或は種蒔付け申付候事
第六条 村々立樹無レ之ては、村落の形を成さざるのみならず、風雨の防きこれ無きにより自然宜しからず候間、其の場所見立て当年五月頃諸木の苗見計らい“一戸に付二十五本宛植付申す可く”、尤も植付方相済み候はば、早々届出で山林係に見分請い申す可し若し事故差支等有レ之植付け兼ね候はば其の訳詳に申出ず可き事
第七条 松・杉・檜は家作其の外修繕必要の良材故、銘々持地へ力の及び候だけ年々植付け培養方心掛く可く候事
第八条 山内に於て免判これ無き伐木は決して致す間敷く、但し免判有レ之候共炭竃打替え候節は、其の次第届出で更に免判書換え願出で候事
第十一条 山野へ樹木植付け方見込有レ之候者は予め申達置き候通り低価を以て地所払下げ又は拝借地等聞届け候間、願出で申す可く候事
第十二条 楢木は造船必要の良材故、薪伐木願は聞届ず候事
右十二カ条の旨、所役人共篤と会得致し、末々の者へ申伝え置き、堅く相守らせ世話行届き候様致す可く、勿論自今繁々山林係見廻り取調べ候間、条目に違背する者有レ之候に於ては、本人は素より所役人の等閑故、夫々至当の罰金或は咎申付け候条後悔無レ之様致す可し。
と記されているが、この布達の最も注目すべきところは、今までに例のないほど積極的に植樹を奨励していることである。
またこのあと山火取締については、明治十年五月布達の「山林培養保護に関する令」で次のように記している。
(前略)従来の弊習にして原野に放火し樹木の生長を妨げ、山林に延焼巨多の良材を失うの虞れあり。故に今より「野火取締規則」を遵守違犯すること勿れ。
○野火取締規則
第一条 原野山林に猥りに放火するを禁ず。
第二条 秣場、茅場其の他私有地内に肥焼ならしめんが為め、放火せんとする者は、予め時日を定め五日以前官に請願すべし。
第三条 放火の時は人民協議し、其の近傍に適当に人夫を配置し、山林、人家等に延焼せざる様予防すべし。但し予防不注意より山林其の他に延焼するときは、該郡村人民をして消防せしむることあるべし。
第四条 山林に延焼せば、其の原因、焼失の本数等を調査して速に報告すべし。(『北海道山林史』より引用)
更に明治十一年十月「部分木仕付条例」を開拓使函館支庁管内に布達しているが、その内容は希望者に官有地を貸付けそこへ植林された立木の一割を官に納入し、他の九割を植林した者の所有とするというもので植林政策を強くすすめようとしたものであった。また『布令類聚』によれば函館支庁は明治十一年十月に官林伐木を禁止する旨の布達を出している。
当支庁管内道路の両側五町以内の官林に於ては何木を問わず伐木を禁じ其他の官林に於て左記の樹木は家屋舟車橋梁其他諸工業に必用の木材に付薪炭用の為め伐木不レ相レ成尤柳どろの木は官用に供するの外都て伐木禁止候条此旨布達候事
椴松 落葉松 五葉松 蝦夷松 琪楠樹(イチイ) 桂 厚朴 胡桃 栓 栗 槐 楢 桜 樒(シキミ) 楓 檜 月桂 しうり(桜の一種) しころ
このほかにも同年同月開拓使は「森林監護仮条例」(官有林と私有林の二種に区別する)「山林原野調査仮条例」「山林監守人規則」等を定め山林の調査管理及び取締の体制が整えられたのである。
その後明治十五年より函館県時代となったが、庶民の側の林業思想は、明治初期とあまり変化がなく、明治十六年十月の「派出山林係員服務心得」や「官林林木払下規則」によって伐採と植樹に対する統制を強めようとしていた。
『現行函館縣警察規則 全』 (抜粋)によれば
縣甲第四十六號
本縣管内官林々木拂下規則左ノ通改正明治十七年一月一日ヨリ施行ス
第三条 森林看護仮條例第二條各項ノ外左項ハ伐採ヲ許サス
一 道路ノ両側百間乃至三百間以内
一 風潮除並ニ火防ノ箇所
一 一等材、二等材ニシテ薪炭用ニ供スルモノ
但悪木ハ此限ニ非ス
一 棋楠樹、槐、檜、桂、栗、朴、落葉松ノ各種ニシテ目通周回二尺未満ノモノ
一 白楊及柳
但火薬及燧木製造ニ係ルモノハ此限ニ非ズ
第七条 林木払下ヲ願フモノハ願書(第一号書式)四通ヲ作リ該区内派出山林係へ差出スヘシ同係員実地ヲ調査シ差支ナキモノハ願書へ奥書シ一通ヲ留メ三通ヲ願人ニ下戻スヘキニ付願人ハ之ヲ所轄戸長役場ニ出シ該戸長ノ奥書ヲ得郡区役所へ差出スヘシ
第十一条 伐木ハ山林係検査ヲ遂ケ検印ヲ押捺スヘシ依テ願人ハ伐木了レバ検印願書(第二号書式)一通ヲ最前奥書ヲ受タル山林係ニ出スヘシ
と記されている。