純農村

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[亀田村章]


大正時代の亀田村役場

 大正時代から昭和二十年までの昭和前半にかけての亀田村は、純農村として人口の半数以上は農業を営み、馬鈴薯や野菜の供給地であった。
 産業では農業のほか、畜産、林業、水産業、工業などが行われていたが、その生産額は次のとおりである。

[各産業生産額]

 この表でもわかるとおり、亀田村においても、昭和に入って工業が著しく発展してきた。澱粉製造、製氷、製瓦などから出発していった亀田村の工業、数度にわたる水害、凶作、病虫害にもまけず、なお生産にはげむ農民の姿、人口の増加によって徐々に整っていく社会のしくみ、戦争が及ぼした影響などを軸にして、亀田村のあゆみの一端をふりかえってみよう。