地区ごとに、特に青年会の人たちが出品の勧誘に歩いていたようで、農作業をしているところにきては、「とっちゃん、何か出してけれじゃ。」「んじゃ、ここからいいのを持ってってけれ。」という調子で出品に応じていたという。
品評会に出品するものは、米、麦、大豆、小豆などの穀物のほか、大根、馬鈴薯、かぼちゃ、にんじん、ごぼう、かぶ、白菜、トマト、きゅうり、などの野菜類、なわ、つまご、わらじなどの藁細工、かご、ざるなどの竹細工、澱粉(でんぷん)などの農産加工品など、とにかく生産物はすべて出品されたといってよい。出品といっても、これらの品物は即売されてしまうため、結果的には寄付をする形になったから、米をはじめ麦、大豆、小豆などの雑穀類は各五合ずつ出すのが普通であった。しかし、正直いって値段の張るこれら米や雑穀類は、進んで出したがらなかったという。大正十一年、赤川小学校を会場として行われた赤川村青年会主催の赤川村農産物品評会には、二八二名から四七六点が出品された。同十三年の赤川村農産物品評会の審査結果は次のとおりである。
一等 大根 山田ユキ 山村房太郎 馬鈴薯 山村ナカ
赤かぶ 山村末太郎 二等 杉村松蔵
三等 小笠原石太郎ほか二九名 四等 成田市太郎ほか四九名
同じ地区単位の農産物品評会では、大正十一年鍛神小学校を会場に鍛神小学校創立二〇周年記念協賛会主催の品評会があり、それには、三六三名が大豆、小豆、菜豆、とうもろこし、ねぎ、馬鈴薯、かぼちゃ、ごぼうなど六七四点を出品し、審査を受けた。亀田村では、隣りの上磯郡農会と共同で、亀田・上磯郡農会主催の農産物品評会に参加している。これは毎年会場を各村でもちまわり、開催していたものである。大正五年には、亀田・上磯郡農会主催で園芸品評会を開き、亀田からは一三二名が野菜、果実など二一四点を出品し、三五点が入賞した。大正六年には第八回亀田・上磯郡農産品評会が函館の公会堂を会場にして、十一月五日から八日までの四日間開催された。
大正6年農産品評会入口
これは翌七年の北海道開道五〇年記念博覧会の出品予選を兼ね、一大消費地である函館に舞台を移して開催したものである。
この品評会の経費は、各村の農会の負担金と道からの補助、一般有志の寄付によってまかなわれた。こうした動きに伴いそれまで渡島支庁内で取扱っていた事務も公会堂に移し、各役場から交替で吏員が出向き、出品物の受入れ、整理に努めた。
審査は十一月二日より行われ、会場には各村農会を通して出品された穀物、野菜、果物、畜産物、澱粉などのほかに大日本人造肥料会社函館工場、北海道農事試験場蚕業部、函館区役所、北海道雑穀連合会函館検査所、函館雑穀商同業組合、函館一等測候所、函館師範学校、北海道農事試験場渡島支場、金森商船株式会社林業部、八雲片栗粉同業組合、帝国製麻株式会社倶知安製線工場などから、各種の有益な参考品が多数出品され会場を賑わした。四日間の期間中、区内近村より多数の観覧者が訪れ、出品物は一品残らず売り切れるという好成績であった。
この品評会の審査は次の五名の委員によって行われた。
審査委員長 北海道庁技師 窪田森太郎
審査委員 同 技手 吉川 宥一
同 同 山内政五郎
同 同 西川 幸一
同 同 林業技手 内藤 文彦
この品評会の審査結果は次のとおりである。
第八回亀田・上磯郡農産品評会各村出品点数及び成績結果
農産品評会
亀田村は参加村内で一番出品数が多く、一等から三等までは大野村に譲ったが入賞計では一位を占めた。
なお、この品評会の各係のうち亀田村に関係する分は次のとおりである。
庶務会計係 志水平五郎
寄 付 係 永田弥助 越田竹蔵 大橋東悟
会 場 係 工藤 一 永田弥助
出 品 係 遠山栄太郎 安藤樫蔵 木村徳太郎
接 待 係 守田岩雄 横田与平
地方 委員 田原栄作 深田時太郎 石神定吉 水島順太郎 木村徳太郎
横田与平 永田弥助 桧山勝治 田原源蔵
横山毅夫 池田音右衛門 佐々木多七 佐藤磯右衛門
水島玉太郎 越田石太郎 工藤一 藤谷栄吉 武彦七
吉村亀太郎 西谷津右衛門