[工場所在地]

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 昭和二十年の工場所在地は、澱粉工場の桔梗二、赤川一、富岡一、竹製品製造所の赤川一〇、中野一、桔梗一、精米所の赤川一、昭和一を除くと、その他の主な工場所在地は、港一二、本町一五、昭和一、鍛治一であり、工場地帯は主に港町と本町に集中していたことがわかる。
 ふり返ってみると、大正の初期の工業生産は神山、赤川などの精米、石川、赤川、桔梗などの澱粉製造、赤川の竹細工、五稜郭駅付近の煉瓦、土管製造、神山、赤川通り、石川、桔梗の製氷などが主なものであった。
 昭和に入ってぼつぼつと亀田本町や港町に食料品工場、木材木製品工場、鉄工場、機械工場が立ち並んだ。
 しかし、それに対して大正時代に活動していた神山、赤川、石川、桔梗などの澱粉工場や精米場は急速に衰えていった。
 昭和十五、六年ころには亀田本町の五稜郭駅付近と港町、更には昭和町の国道沿いの一部に工場が急激に増え、工場地域としての観を呈するようになった。