明治三十七年七月一日、函館駅は現在地に移設され、海岸町にあった旧函館駅を亀田駅と改称したが、明治四十一年三月になって亀田駅は廃止された。その後、駅舎の必要が生じ、三年後の明治四十四年九月、現在地に史跡五稜郭の名前をとった五稜郭駅が開業した。これで、明治三十五年に開業した桔梗駅と合わせて、亀田村には二つ目の駅が誕生した。
桔梗駅が大根、馬鈴薯など農作物の輸送駅であったのに対し、五稜郭駅は付近の工場と密接な関係を持っていた。
大正九年、車両整備の五稜郭鉄道工場が開設されるとともに、函館倉庫(後の用品庫)も設けられるにいたり、付近には民間会社も増え、日産化学肥料工場、北海道配電会社火力発電所、北海道瓦斯会社工場など、駅近くには大工場が次々と建設され、活況をみるようになった。