野菜類の輸送

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現在の桔梗駅

 桔梗駅の重要輸送品は先述の通り大根と馬鈴薯であったが、大根の輸送には次のような裏話があった。
 明治四十一年十月、桔梗村の佐々木長松が蘭越村の知人に桔梗駅から大根を一車送り出した。それ以前は長い練馬大根を送り出したことはあったが折れやすく失敗していた。そこで青首の宮重大根を葉付きにして十本結束にするため葉を稲藁で束ね、大根の中間を縄で結束して貨車に積み込んだのである。この方法をとり入れたところ大根のいたみが少なく好評であったことから、翌年からは徐々に輸送量がふえ、やがては主要輸送品となっていった。
 昭和十五年の送り先をみると近くの森、八雲をはじめ道央の札幌、小樽、夕張、江別、室蘭、苫小牧に加え、遠く稚内、野付牛など全道六〇余りの市町村におよんでいた。
 馬鈴薯の方は、桔梗村開拓の祖であった西田惣三郎の二男で澱粉製造業を営んでいた西田外次郎が、大正十三年、群馬県前橋市の金子商店へ桔梗駅から在来種の薯を貨車輸送する中に何俵かの早生白丸薯(後に言う男爵薯)を混載して輸送した。
 ところがこの早生白丸薯が群馬県下では麦作の前作に都合がよいので好評を博し、翌年大量の注文があった。その後年々輸送量は増大し、昭和二十五年に桔梗駅から輸送された馬鈴薯の数量は二、六六三トンにも達した。
 その他、白菜、キャベツ、赤かぶなどの野菜も桔梗駅から積み出されたほか、大正二年には大中山の池田栄吉が桔梗駅前に木炭倉庫を建築して木炭を本州へ移出した。