温暖期の集落跡の欠落

32 ~ 33 / 521ページ
 これまでの調査において、空港が立地する台地上では、縄文時代前期後半から中期末頃の時期において、住居を中心とする集落跡は確認されていない。円筒上層式土器や大木式土器など多様な道具を使用し、温暖な気候のもとで安定した生活が営まれたと考えられるこの時期には、函館および周辺部や青森県などにおいて大規模な集落形成があったことが明らかとなっている。たとえば、青森市三内丸山遺跡は三〇ヘクタールを越える規模の大集落跡であり、存続期間も約一五〇〇年間と長く、一時期においても相当数の人口が存在していたと考えられている。また、函館市のサイベ沢遺跡も規模こそは三内丸山遺跡よりやや小さく、詳細は明らかとはなっていないが、集落構成内容などについてはほとんど変わらないのではないかと推定される。同様に、内陸部の河岸段丘上には中期後半から末頃にかけての集落跡も市内および周辺部には数多く存在しているが、何故かこの銭亀沢地区の台地の範囲では人びとの活動した痕跡がほとんど印されていない。早期から前期前半頃にかけて、ある程度継続性や連続性がみられた集落跡の移り変わりは、前期後半から中期末頃までの間は途切れることになる。少なくとも、この台地上は居住する空間としての利用はなかったようである。いくつかの遺跡において、ごくわずかに中期頃とみられる土器片などが確認されているが、数量的にみてとても集落が形成されるほどには至っていない。

函館空港第4地点の集落跡