狩猟場の存在

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 函館空港遺跡群において、各集落跡などと重複する形で広範囲にわたって分布しているものに、鹿などの動物を捕獲するための落とし穴と考えられているTピットの存在がある。このTピットは、平面が溝状の長楕円形となり、長さが三メートル、幅が六〇センチメートル、深さが一メートル前後のものが多い。中には、長さ一メートル程度の短いものから四メートルを越えるものもみられるが、数量は少ない。また、断面形では長軸が袋状からU字形で、短軸がY字からV字形となるものが一般的である。これまでの空港遺跡群の調査では、およそ七五〇基ほどが確認されている。このうち、中野A遺跡では一三三基、中野B遺跡では二六九基、函館空港第4地点では一六四基、石倉貝塚では一二八基、そのほか函館空港第1地点が五四基というように、比較的まとまった形の分布となっている。

Tピットの配列状況(中野A遺跡)


重複するTピット(中野A遺跡)

 これらの中で、それぞれの時期を決定できる遺物を伴う例が少なく、いつ頃に造られて使用されたのかはほとんど明らかとなっていない。ただ、早期および前期の集落跡と重複する場合は、その大半が住居などの遺構よりは新しい時期に造られたものであることが判明している。また、後期の遺構と重複する場合には、それ以前に埋設しているものと、新たに構築されたものの両方が存在することが確認されている。
 これらのことからみて、Tピットの多くが存在していた時期として最も可能性が高いのは、およそ縄文時代前期中頃から後期前半頃にかけてと考えられる。さらに、Tピットの分布傾向をみると、多くは集落跡から離れ、遺物や他の遺構が存在していない場所にあり、沢地形や尾根に沿った形に並んでいるように見える。これはおそらく、獣道(けものみち)など動物相の習性に則した配置となっていると思われるが、それともまた何か別の理由によるものであろうか。当然、Tピット地帯と集落との間には密接な関連があると思われるが、それぞれがどのように結びついていたのかなど、まだ結論づけられるまでには至っていない。いずれにしても、ある時期には広範囲にわたる狩猟場が存在していたことは明らかで、背後にある集落の生活維持に重要な役割を担っていたことは疑いない。