標識調査に見る鳥類相の概要とその変化

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 一一シーズンを通して古川町と豊原町で標識放鳥した鳥類は一目九科三〇種一八六一羽にのぼる。このうち古川町では九科三〇種一七二二羽で、豊原町では二科五種一三九羽であった。
 このうち秋だけに注目すると、全放鳥数のうち、すべてがスズメ目であった。放鳥された鳥種の内訳を見ると、種数ではヒタキ科が一二種と多く、そのうちノゴマやツグミなどのツグミ亜科とウグイスやコヨシキリなどのウグイス亜科が各六種であり、オオルリやキビタキなどのヒタキ亜科は見られなかった。ヒタキ科に続くのは、ホオジロ科の七種であった。ほかは、アトリ科が三種、シジュウカラ科が三種、ゴジュウカラ科、メジロ科、ハタオリドリ科が各一種であった。個体数に注目すると、ホオジロ科が七種一五〇四羽で全体の八一・三パーセントを占め、特に多かった。ヒタキ科は一二種一六八羽で九・一パーセントにすぎない。これは、後に述べる函館山とは著しく異なる。アトリ科は三種一三二羽で七・一パーセントであった。ホオジロ科が多かったのは、アシ原に生息する種類を多く放鳥したためと思われる。ホオジロ科でもアオジは七一五羽で総放鳥数の三八・六パーセントであり、カシラダカは七〇九羽で三八・三パーセントを占めた。ヒタキ科ではウグイスが五六羽(三パーセント)、コヨシキリが四四羽(二・四パーセント)、ノゴマが四二羽(二・三パーセント)であった。アトリ科のうち、カワラヒワが一一六羽(六・三パーセント)、シジュウカラ科のシジュウカラが二七羽(一・五パーセント)であった。
 図2・4・2により放鳥数と種数の増減を年ごとに見てゆくと、最初の二年間は種数にそれほどの変化はないが、放鳥数が急激に増加している。このときの調査日数は六日間と七日間であるからほとんど同じである。この理由として考えられるのは、昭和五十九(一九八四)年から鳥の鳴き声をテープで流すことにより強制的におびき寄せたことと、調査規模を多少大きくしたことがあげられる。昭和六十二(一九八七)年以降については、放鳥数も種数も一時増加するが、それぞれ平成元年頃から減少する。まずいえることは、A地点の調査場所をA-1地点から南側のA-2地点に変更したことである。変更初年度は、昭和五十八(一九八三)年と同様、予備的な調査であるため、規模を最小限度にして調査をおこなったためである。しかし、この場所は隣接して大きくはないがエゾイタヤやシナノキを主体とする林があるため、植生がより多様性を帯びている。このため昭和六十三年は種数が増加したものと思われる。減少の原因については明確ではないが、調査地の環境悪化が最大の原因かと思われる。

図2・4・2 古川町・豊原町の秋期の鳥類標識調査