経済関係としてのマキ

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 海岸沿いに隣接する戸井町では、“マギ”(マキともいう)とよばれる同族集団もしくは親族集団(本家-分家)が鰯の定置網漁の経営を中心に機能し、またオヤコとよばれる親族関係と姻族関係を軸とした双方的親族関係が取り引き関係、賃借関係、乗り子関係およびブカタ関係(歩合制による雇用関係)で機能していたことが知られている(「渡島管内戸井町瀬田来の社会と民俗」『北海道を探る』10)。
 銭亀沢地区の場合は、これとは対照的に、同族集団やオヤコ関係はあまり機能していなかったようである。戸井町と銭亀沢地区との差異は、それらの地域の生態系の差に起因する漁業経営の方法の違いに由来していた。戸井町においては、鰯漁は雇い制(給料制)で鰯漁の乗り子を集め、かつ分家が定置網漁に関する準備、監督、管理を分業する体制であった。乗り子は、分家やオヤコから補充されることも多かった。さらに戸井町では、はやくから機械船が導入されたが、この維持には本家と分家の経済的および労働の協力関係が必須であった。
 一方、銭亀沢地区の漁業は鰯の地曳網漁と建網漁が中心であり、ブカタ(歩合制)で親方は労働力を集めた。この制度では、船頭、オヤジ、納屋親方やオカマワリなどの役職があったが、これらの職は親方の分家や親戚の者によってすべて独占されることはなく、適材適所の人員配置をおこなっていたようである。地元の一般漁民や本州からの出稼ぎの者を血縁や姻戚に関係なく採用していた。逆にコカタとよばれる乗り子は、条件のよいオヤカタのところで働くため、年によっては異なるオヤカタのところで働くことがあった。