宗教および社会的関係としての同族

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 親方層で、家や船を与えて次男以下や、娘の婿養子を別家として独立させていた事例はあるが、本家と別家との結びつきは経済活動を通してというよりは、祖先供養のような宗教的結びつきの方が強かった。
 お盆やお正月に、「水上(みずあ)げ」と称して、別家は本家に祭ってあるご先祖様に菓子や供物をもって、お参りにいっていた。現在では、「水上げ」は、「お樽代」としてお金をのし袋に入れて本家に持っていくことが多くなっている。本家はニシメなどを用意し、来客を接待した。かつては上下関係によって席順も決まっていた。また、第二次世界大戦が終わる頃までは、死ねば本家(かまどもち)の墓地に埋葬されることが多かった。結婚式に招待される範囲も、隣近所を除けば、親族の人が招待された。
 銭亀沢地区をみた場合、同族集団や親族関係は、経済的な機能よりも冠婚葬祭などの社会的な機能を強くもっていたと考えられる。近所の他人は、日常生活において、互いに助け合っており、親族関係と同じくらい近所の他人も社会経済的に重要な存在であった。
 鰯漁が昭和二十年代におわり、烏賊漁や昆布漁(のちに養殖昆布漁が加わる)および季節的な出稼ぎが地区の生業の主流となり、若者の地域外への一般就職と進学が多くなってきたこととあいまって、地区内では経済的な世帯の自立化が進み、同族関係や親族関係は冠婚葬祭以外ではあまり社会的な機能を果たさなくなってきている。