部落会

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 評議員会は、第二次世界大戦中に、部落会に名称を変更する。戦時下の国内の自治体制を強化するために、部落会の末端として隣組が組織された。戦局も押し迫る昭和二十年二月には、北海道庁通達により町内会、部落会の機構の整備や常会の運営などに及ぶ指導運営の強化に関する指示が出され、不適当な役職員には更迭も辞さないほど戦時下における重要な社会組織であった(昭和二十年二月二十二日付「道新」)。
 部落会の会長、副会長、会計は選挙で選ばれた。大字石崎では、人口がほぼ同じになるように六つの字は八区分に分けられた(各字は、区にほぼ相当)。各区から四名の協議委員(うち一名が区長)が選出された。したがって、部落会は三二名の委員(うち八名が区長)と会長、副会長と会計から構成されていた。
 徴収される会費は各世帯ごとに一律であった。漁業組合の会議室で、年に一度、年度初めに、部落会総会と呼ばれる定期総会が開催された。会の内容は評議員会とほぼ同じであった。ただし戦時中は、この部落会が、森林組合に代って石崎の共有林を管理していた。
 各区は四班からなる。各班は、一〇世帯から一二世帯で構成され、隣組と呼ばれた。各班(各隣組)には班長が一名おり、最初は選挙によって選出されたが、そのうちに持ち回りの当番制になった。この隣組と呼ばれる班は、配給物資の配分、協議会の通達の伝達、労働奉仕の連絡など戦時行政の施策を支える社会単位であった。
 
表3・3・6 銭亀沢地区の町会一覧
町会名構成町会が祭礼に
関係する神社
備考
銭亀町会13班、各班10~14戸銭亀八幡神社
高松町会6区、各区80戸余りなし函館空港拡張のために移転し
てきた世帯からなる
鶴野町会3区(白石、鶴野、稲本稲荷神社農業関係者が中心
豊原各町会)、各区
8~9戸
根崎町会10区、各区30~38戸根崎川濯神社
高松町親交会11班、各班10~15戸なし根崎川濯神社の祭りに住民は
参加
高根西部町会6区、各区4~6班なし
各班8~10戸
瀬戸川町会25戸から構成なし志海苔神社の祭り住民は参加
空港団地町会13班、各班25戸余なし町会で盆祭りをおこなう
志海苔町会8区、各区20戸余志海苔八幡神社
三協町会中野・赤坂・石倉町なしお盆の時サマーレクリエーシ
各町10戸余ョン大会を開催
望洋団地自治会A地区10班・B地区なし旧は8班と9班区。現在も戸
11班、各班10~22戸数が増加しつつあり、地区お
よび班を再編成中
新湊町会6区、各区3班石倉稲荷神社
豊原町会5班、各班4~10戸(以前は、豊原神社)現在奉賛会は町会から分離
石崎町会8区、各区(字)4石崎八幡神社
班、各班10戸余
古川町会8部、各部3班、各川濯神社
班10戸余)

 各区ごとには寄合があったが、部落会で決まったことを通達するための会合であったようである。定期的な区長会議はなかったが、お盆の時などに余興を考えるために区長が集まることがあった。
 この部落会や班、隣組の枠組みは、昭和二十二年に法律上は廃止されたが、四十一年に銭亀沢村が函館市に合併した後も、日常生活の上では、近所付き合いや助け合いの単位として存続してきた。