文化年中(一八〇四から一八一八)に
京都伏見稲荷大社より「御分霊」を勧請したもので、字石倉沢に小祠と拝殿および籠堂があったことが「
蝦夷日誌」に記されており、この地は眺望絶佳で、心願の人が「御籠」したという。大正三(一九一四)年、湊地区の村民が協議のうえ、現在地に社殿を建立、遷座した(『大日本神社大鑑』昭和十二年)。次に述べる古川川濯神社と同じく、山中の祠を居住地域の沿岸部に遷座したことは、湊地区が漁業などによって発展し、村内の有力曳網業者が経済力を蓄え、銭亀沢村から自立していく過程に対応すると思われる。
現在の社殿は、昭和五十一(一九七六)年に改築されたもので、その形式は本殿と拝殿を合の間でつなぐ権現造である。
石倉稲荷神社