大規模漁家住宅(b)の形式

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 新湊町・古川町に分布する大規模漁家住宅は、かつて鰯曳網をおこなった網元の住宅形式で、屋敷地は間口が大きく、道路を挟んで山側の宅地部分には主屋の他、家財や漁業用具を収納する蔵が複数棟建てられ、浜側には雇用漁夫の宿所の番屋や、船の納屋、網の納屋などが建ち並び、鰯を煮る釜も設えた漁業基地であった。
 住宅の平面形式は、自営漁家住宅とは異なり、梁間(はりま)いっぱいに通る土間を挟んで下手に一列、上手に二列居室のある四列構成である。チャノマや座敷は上手裏側にあり、書院や欄間を備えた座敷飾や庭園などを整備していた。表側は上手・下手とも寝室で、下手裏側は台所である。
 このような床上平面形式は、渡島半島日本海側の番屋建築と共通する。それは鰯漁業の漁業基地としての干場が、鰊漁場を小型にしたような形態であることと対応すると考えられる。しかし、現在わずかに残る新湊町・古川町の大規模漁家住宅が、いつごろこの地にもたらされたのかは、遺構のないため明らかではない。

図4・3・7 大規模漁家住宅に類似する番屋建築の平面図