昭和三十八年に、大規模経営漁家から分家し、段丘上のこの地に住宅を建設した。大工は
樺太(サハリン)豊原(ユジノサハリンスク)の高橋忠義で、当初は主屋東側に二階建瓦葺のゾウグラ(蔵倉)があり、馬小屋と
昆布乾燥場が付属していた。のち裏側に寝室を増築し、現在は貸家として使用している。土間はなく、玄関が突出し、二階を子ども部屋にし、外壁にタイルを用いるなど、新しい形式を示している。
昆布養殖と自動車使用により内陸部に進出した事例である。
[旧外崎菊一家住宅]外観
[旧外崎菊一家住宅]現状平面図・2階平面図・配置図