産の忌

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 出産は新しい生命の誕生を意味し、家族や地域社会にとっても喜ばしいことであるのに、古くから産はケガレとする考え方があった。ケガレには黒不浄と赤不浄があり、黒不浄は死によるケガレであり、赤不浄は血によるケガレであるとされていた。出産には出血をともなうので女性の月の障りとともに赤不浄といわれている。この地域でも産後一週間から一〇日間ほどをサンビと呼んで忌みの期間としていた。とくにサンビはシニビ(死のケガレ)より忌みが強いとして嫌われていた。
 サントは体がケガレているので、「陽に当たってはいけないといわれ、上っ張りをはおって外にでた」「便器は便所(当時は外便所)にあけないで、裏に穴掘って捨てた」「最初に使った産湯は家の裏に穴掘って捨てた」。また子どもが生まれた家では、サンビの期間中は産見舞いに行くことも、その家で飲食することもいけないとされていた。
 特に漁家では、スクッタ、スクウといってサンビを忌み嫌う人が多かった。サンビの漁夫がいると漁がなく事故が起こるといわれていた。サンビの時「乗子(ノリコ)の夫は着替えを持って親戚の家へりに行き、そこから船に乗り一週間くらい家に帰ってこなかった」「鰯漁の時は家に帰らないで、番屋から漁にいった」「船を揚げ降ろしするとき、下に敷くスベリイダやコロを乗せるスズイダにまで、サントの夫や家族には手も触れさせなかった」という。助産婦が鰯漁のときにいくと「産婆くると鰯とれなくなる」といって嫌がられた。しかし八月の昆布漁は「ケガレなんか、そんなこといっていられない」ほどの忙しさであるという。
 サンビを祓うには、なすびの茎を焼きその灰を人や漁具に掛けたり、ヤキバの焼残りの薪(木のシリという)を持ってきて漁具や舟にこすりつけるとよいといわれている。この地域では不漁続きの時、夜ひそかにヤキバにいき残灰を持ってきて網に掛け漁を願うことがおこなわれていたという。
 このような産の禁忌も時代の推移とともに期間が一週間から三日間と短くなり、やがて昭和四十年代になって函館の病院で出産するようになるとみられなくなった。