嫁入り

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 この地域では七、八月頃は昆布採り、八月から十月頃まではいか釣り、十一、十二月には鰯漁がおこなわれ、一、二月は鰯粕干し、三月から五、六月にかけては鰊場へ出稼ぎに行った。従って婚礼は出稼ぎ期や漁期を除く一月から三月にかけておこなわれることが多かった。婚礼の当日は「嫁迎え」から始まる。嫁入りの時間に合わせてナカド二人に婿方の親戚、それにコウリショイがついて嫁を迎えにいった。行李には嫁迎えに必要な品や贈り物が入っていた。嫁の履く下駄や足袋は必ず持参するものとされていた。
 嫁宅では朝早くから嫁入り支度に大忙しで、「嫁迎え」がくる頃には高島田を結い花嫁衣装に身を包んだ嫁を中心に両親・家族それに招待された親戚や隣近所の人たちが集まって祝宴が催された。これをタチブルマイ・タチアシとかデシュウギと呼び、婿方の祝言に負けないくらい盛大にやった家もあるが、多くは手料理で短時間で済ませていた。「嫁迎え」の人びともこの席に着いて酒肴の振る舞いにあずかった。
 やがて嫁入りの時刻となって、嫁は仏壇に参り、両親や参会者に挨拶をして「嫁迎え」の人びとと共に婚家に向かう。嫁方からは両親と親戚、それに嫁の世話をする若い女性がソイヨメとして付いて行った。嫁宅ではタチブルマイの出席者が残っているので、相手をする両親に代わって親戚代表が婚家に行ったりすることもあった。
 村内の嫁入りは夕方から夜にかけてが多く、ごく近い所は提灯を持って徒歩で行ったが、大方は馬車や馬橇を使用した。花嫁行列はやらなかった。昭和二十五年の村内の嫁入りでは、嫁はタイヤ馬車に乗り、嫁方の出席者は徒歩でいき、嫁入り道具は馬車で運んだという。嫁入り道具の搬入は、婚礼当日かまたは前日までの吉日を選んで運ぶ場合とさまざまであった。近い所は若い者が背負ったり、荷車やリヤカーで運んだりすることもあったが、馬車・馬橇が多く使用された。運んできた人たちには婚家で酒を飲ませ祝儀を出して労をねぎらった。
 嫁入りは直接婚家に行くことが多いが、遠方からの嫁入りでは途中婚家の近くで日頃親しくしている家や親戚宅で一休みして、衣装直しをしてから婚家に向かうことがあった。これをワラジヌギといっている。
 嫁入りの一行が婚家に到着すると、婿と婚家の両親が玄関先で出迎える。また途中まで家印のついた提灯を持って迎えにでることもあるが、これをチカムカイといっている。嫁が婚家に入る際にはさまざまな儀礼が各地でおこなわれているが、この地域ではそのような儀礼はみられなかった。