銭亀沢には石崎の他にも各地区に火葬場があった。大正十三年十一月二十一日付けの「函館日日新聞」によると、銭亀火葬場はこれまでの露天の火葬から村営の火葬場が新築され、十二月一日より使用開始とある。その後何度か改築がおこなわれたと思うが記録がないのでよく判らない。昭和三十九年十二月に志海苔・銭亀共同墓地から現在の望洋団地に移転新築して、志海苔や新湊の人びとにも利用されてきたが、昭和五十二年五月に廃止された。跡地は小公園になっている。
新湊には、湊共同墓地内の南東側に土手に囲まれたノヤキ場があったが、昭和三十四年以降は使用されず銭亀の火葬場を利用していた。現在ノヤキ場跡には地蔵堂が建てられている。
古川火葬場は、古川共同墓地内にあって昭和四十年に施設の改修がおこなわれたが、昭和五十八年三月末で廃止され建物は現存しない。また根崎でもノヤキ場があったが早くから函館の梁川町の火葬場(護法院)を利用していた。